秋山好古・真之

馬に跨る好古の銅像 (秋山兄弟生誕地)

松山で生まれ育った兄弟

秋山兄弟生誕地 秋山好古・真之兄弟が生まれ育った生家が生誕地である歩行町(かちまち)に復元されています。

〈兄であり、父であった好古〉
10石取りの貧しい家に生まれた兄弟。兄・好古は松山でも指折りの秀才として知られていましたが、家計を助けるため、学校に通うことをあきらめ、銭湯の風呂焚きの仕事をしながら独学で勉強していました。好古と10歳違いで生まれた真之は、秋山家の5男、末っ子として生まれましたが、食い扶持にこまった父は末っ子を寺へ預けると言い出しました。ここで弟を救ったのは、兄・好古でした。
「父さん、赤ん坊を寺へやってはだめだ。自分が勉強して稼ぐから」
その言葉通り、本当に真之の学費や生活費まで面倒を見たのです。本人はというと、学費がかからないという理由で教育者の養成機関である大阪の師範学校へ入学しました。しかし教師になって間もなく、「月謝も生活費も無料、さらに小遣い付き」という軍人を養成する士官学校を紹介され、軍人の道を歩むことになるのです。

〈地元で有名なガキ大将〉
一方、兄に助けられた弟の真之は近所でも有名なガキ大将へと成長。両親を困らすようなイタズラ伝説を数多く残しました。しかし頭が切れ、大人の警察官に追跡されない悪賢さも持っていました。また絵や文学など芸術の才能にも恵まれていました。当時県の最高教育機関である松山中学校へ入学し、正岡子規と共に学ぶことになります。この中学での学費はすべて兄・好古が陸軍務めの給料で賄っていました。そんな兄への恩を感じていたのか、成績は非常によく、首席になったと言われています。

文芸仲間の真之と正岡子規

子規堂 子規が少年時代を過ごした旧宅を模した記念館

同じ松山の勝山小学校と松山中学校で学んだ真之と正岡子規。生涯の友となる2人は、当時正反対な性格だったと言います。しかし同じ文芸の趣味を通じて次第に親しくなっていきます。

しかし子規が東京の大学に行くことになり、刺激された真之も上京を決意。子規と同じ下宿先に住み込み、寄せに行ったり、勉強を競い合ったりと学生生活を謳歌しました。

充実した生活を送りながらも、これ以上兄・好古に学費も生活費も出してもらうことは無理だと感じ、兄と同じように学費のかからない海軍兵学校へ通うことを決めます。ともに文学の道を究めようと語り合った子規と真之ですが、別々の道を歩むことになるのです。

秋山兄弟と正岡子規の日清戦争

真之の銅像(秋山兄弟生誕地)

列強のアジア侵略に対抗して朝鮮への進出を謀る日本と、朝鮮を属国とみなす清はするどく対立し、日清戦争へと発展していきます。
〈陸で戦った兄〉
フランスへ留学し、西欧式の騎兵を学んだ好古は、日清戦争が初陣となりました。当時日本では騎兵は防御力が弱いため不要のものという考え方が強く、認められるためには、何としてでも勝利しなければなりませんでした。好古は1万2千の敵兵と百数門の砲弾が固める要塞の弱点を見抜いて逆転できる攻撃法を編み出し、見事勝利を収めました。
〈海で戦った弟〉
真之は巡洋艦「筑紫」に乗り、最前線ではないものの清国からの砲撃を受け、仲間3人をなくす辛い経験をしました。真之はこの時の様子を「相手が弱すぎた。だから勝てた」という風に子規に話しています。しかし実のところ、戦中の悪夢が何度もよみがえり、退役して坊主になろうと思ったほどでした。この後アメリカへ留学し、海軍戦略の研究に没頭することになります。
〈記者として戦場を踏んだ子規〉
新聞記者となっていた子規は、日本の勝利が続々と報道されると気持ちを高ぶらせ、従軍記者となって戦場を取材したいと熱望するようになりました。約1か月間戦地を取材しますが、帰国の途中に吐血し、神戸での療養を経て松山に帰ることになります。

秋山兄弟の日露戦争

好古の騎馬像(秋山兄弟生誕地)

日清戦争から間もなく、ロシアはフランス、ドイツと組んで清国から得た遼東半島を返還せよと日本に迫りました。このいわゆる「三国干渉」を期に、日露戦争が始まっていきます。
〈真之・作戦参謀への道〉
真之が海軍戦略の研究に打ち込むようになったのは日清戦争後。アメリカへ留学し、作戦研究に没頭しました。西欧の海戦史を学び、帰国してからも日本の海戦、戦国時代の合戦など、陸・海の戦史を研究しました。真之に課せられた使命は「ロシア艦隊を一隻のこらず沈めること」。これを実現させるため編み出されたのが、「ロシアバルチック艦隊迎撃作戦」でした。この作戦で見事ロシア艦隊は壊滅。「名参謀」としてその名が知られるようになるのです。
〈好古・「最後の古武士」〉
日清戦争後、陸軍乗馬学校長となり、その後騎兵大佐に就任すると、軍内の騎兵知識を高めるために努めました。日露戦争が勃発すると騎兵部隊指揮官として参戦し、満州の野で世界最強と言われたコサック騎兵を相手に奮戦。さらに黒溝台合戦では10万のロシア軍に対し、わずか8千の騎兵で対戦し、見事ロシア軍を退却させました。

戦いの後・・・秋山兄弟のその後

〈将軍から故郷の校長先生に〉
日露戦争の後、陸軍最高幹部にまで上り詰めた好古ですが、本来は争いを好まない、穏やかな性格の持ち主。退役すると郷里の松山に帰り、北予中学校の校長になり、教育者として晩年を過ごします。根っからの教育者だった好古は、軍服で出勤することはほとんどなく、いつも微笑みをたたえて生徒の様子を眺めていたそうです。もともと教師になるのが夢だったので、長い回り道をして望みを叶えたのでしょうか。
〈子煩悩で家族想いな父〉
日露戦争が終わり、人生の目的を失った真之は淡々と軍務をこなす日々を過ごしました。その一方で家庭では子供を大切にする良きパパだったようです。得意の絵を描いてやったり、絵ハガキを集めて帰ってきたりと、子供を喜ばせていました。また、あまりの子の可愛さに、長男を懐に入れて夜な夜な散歩に出かけ、百日咳にかかってしまったというエピソードも。

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